自己紹介
名前 | わちお |
年齢 | 22歳 |
出身地 | 山口県 |
投打 | 右,右 |
ポジション | 内野手 |
好きな球団 | カープ |
推し | 長谷川勇也 ももクロ |
球歴 | スポ少(軟式)→中体連(軟式)※部活→広島名門私立校(硬式)→四国の私立大(硬式) |
はじめましてわちおです!よろしくお願いします!
はじめまして、よろしくな!
幼少期~小学校
5歳の頃からサッカーをやらされていました。コーナーキックの陣取りが嫌いで、、、なぜかというとあの枠の中で
「どけや」
「邪魔」
と言い合っているんですよね。当時メンタルの弱い私は参ってしまいました泣
サッカーを辞める条件の中で何かスポーツをすることと父から言われたので、野球を選択しました。
打ってボールを飛ばすことに快感を覚えた私はプロ野球選手という職業を知った。絶対になってやると思い、毎日練習をしました。どのくらい練習してたかというと、練習のない日は友達と遊ばないで自主練習、逆に友達と遊ぶときは野球の練習をしていました。
つまり遊ぶ=野球でした(笑)
スポ少のチームは強かったのですが、監督やコーチは鉄拳制裁(殴って教える)を行っていました。野球部あるあるですね。それが嫌すぎて、そこのスポ少を辞めましたw
隣のスポ少に入団し、辞めたチームと戦うときは保護者もチームもバチバチでしたね。辞めたスポ少チームの小学校にいるので当時は嫌がらせやいじめられたりしていましたが、今ではいい思い出です(笑)
家には金メダルが10個くらいあります。
中学校
地元には2つの中学校があり激しく悩みました。一つ目は公立の中学校、一方は私立の野球の強い中高一貫校(硬式)です。そこに行くと高校もそこに行かないといけないという噂があり、公立の中学校に進学しました。しかし後々知ったのですが、他の高校に行くことも可能だったということを知り激しく後悔しました。もう一つは自分よりうまい有名な人が来るという噂も聞いたので、辞めました。今思えばしょうもない理由すぎて後悔しています。以後後悔しない挑戦の道を選ぶ人になりました。
中学校は部活に入りました。近くに硬式野球チームはなかったからです。同級生は9人でしたw少ないけどまあまあ楽しかったです。チームはそこまで強くなく、県大会は一度も出たことがありません。
野球以外のことで暴れまわっていました。年功序列な中学校の部活は本当に面白くなく、夜遊びなど悪さばっかりしていました。家に帰らないことも多々あり、思春期が爆発していましたw
何としても甲子園に行きたい、プロになりたいと思い、甲子園常連校に行こうと決意しました。そこから、推薦がもらえるようにまじめに生活したり、その高校に地元民で行った人が何人かいたので話を聞いたりしていました。
推薦を手にした私は夢と希望を持って、名門校に進学したのです。
高校
隣の県の高校だったので、初めての土地で初めての人しかいませんでした。知り合い0からのスタートです。寮生活で一室二人だったこともあり、すぐ仲良くなれました。
小学校のときから初めての人とのコミュニケーションは慣れています。
寮生活も大変でしたが、それ以上に練習が大変でした。田舎のわんぱく野球少年がいきなり、本気でプロや甲子園優勝を目指すチームに入ったからです。レベルが違いすぎてしんどかったです。野球のレベルも違う、体力が違う、練習についていけない、
俺は何しに来たのかと本気で思いました(笑)
練習が始まって3日でやめたいと思いました。
しかし親にもここでやめたら申し訳ないと思いましたし、普段練習では厳しい先輩でしたが、私が悩んでいると声をかけてくれる人が多く、何とか踏ん張ることができました。
めちゃくちゃへたくそで、練習にもついていけなかった私でしたが、3か月もすれば練習についていけるようになりました。コツコツ努力し続けた結果だと思っています。努力×慣れは破壊力抜群です。ランメニューも私が引っ張て行けるようになりました。
ずっとAチームに入れませんでしたがが、二年の秋で背番号をもらえることができました。
ずっとレギュラーになることを目指し練習を人一倍やってきましたが、三年の五月に引退しました。私が練習するより、チームのために行動しようと思ったからです。自主練習の時間はありますし…チームのために得意な分析を生かしたいと考え、偵察班として活動していました。結果は県大会で優勝することができました。甲子園でも準優勝することができました。
大学では見返してやりたいという気持ちが強くなり、大学でも野球を続けることにした。
コツコツと努力を重ねて、大学に向けて全力で練習に取り組んだ。
大学
大学では早めにグランドに集められて練習や試合に取り組みました。地方大学野球なめ腐ってましたが、結構うまい人はうまかったので驚きました。1年の春からたくさん試合に出せてもらって幸せでした。高校の時は全打席覚えているくらい、試合に出せてもらえませんでしたからw
1春はリーグには出れなかったものの、1秋からリーグ戦メンバーとして遠征に帯同した。オープン戦で結果を出したり、監督好みな選手になるように意識してアピールしているからだと思う。しかし、大学侍ジャパン日本代表の練習を補助する機会があり、振れる選手にならないといけないと思い、ボールを飛ばすことを意識するようになりました。
2春はリーグ開幕前に練習のしすぎで足を疲労骨折してしまいました。なので一試合もベンチに入ることはできませんでした。新入生が入ってきました。もっとレベルの高い選手が入ってきて感動しました。高校と変わりない刺激を受けることができ、後輩たちとさらに高みを目指して頑張りました。(先輩の意識は低かった)
2秋では一個下の化け物みたいな後輩にポジションを奪われ二番手としてリーグ帯同。主に代走や代打で試合に出ていました。この時から次第にライト前や野手の間を抜く打撃から、強振で強く振れるバッターになりつつあったので、監督からの評価が落ちてきました。
高校時代のOB戦で最優秀選手賞を受賞することができました。高校時代の私を知っている人からすれば、夢にも思ってなかったでしょう。コツコツ努力することが非常に大切なんだと感じました。
秋からイップスになり始め、←本当にしんどかったw外野手に転向し、さらに冬には悪化。私は大学で野球する目的が
- レギュラーになること
- プロや社会人で野球を続けること
だったのでかなわないと思い現役引退を決意しました。
大学野球引退後
引退後はやりたいことに積極的にチャレンジしていきました。
- 資格勉強
- アルバイト掛け持ち
- アイドルのライブに行く
資格勉強は学生のうちに何か資格を取っておきたいと思い、宅建に挑戦しました。去年はあと2点足りず落ちたので今年も挑戦したいと思っています。
アルバイト掛け持ちでは、独立リーグでアルバイトや不動産業界でのアルバイトに特に力を入れました。直談判でアルバイトの枠を作って頂き、積極的にいろいろな経験をさせてもらいました。
ももクロが好きなので、ももクロ好きな友達と応援しに行きました。可愛くて、魅せるももクロにとりこになりました。推しは百田夏菜子です。コロナで全くライブ行けてないので早く行きたいですw
かなこぉぉぉおおお⤴⤴⤴
現在
就職活動を終え、ブログ執筆と宅建の取得を目標に頑張っています。好きなことをして生きる人になりりたいと妄想しながら適当に生きています。
どうぞわちおをよろしくお願いします!